城内小学校にあるお城の模型(もけい) |
城内小学校の場所には、むかしお城がありました。
だから小学校の名前は城の内側にあるということで城内(じょうない)小学校といいます。
尼崎城(立て札)
江戸時代、尼崎城は大阪城の西を守る役目のため譜代(ふだい)大名 戸田氏鉄(うじがね)が元和(1617)から数年かけて築いたものです。領地は4郡(川辺・武庫・兎原(うはら)・八部(やたべ))111村の広さで5万石でした。城域は現在の北城内、南城内の約300メートル四方あって、西は庄下川、東は大物運河を外堀とする三重の堀に囲まれ、本丸(現在の城内小・中学校々庭内)には、高さ18メートルの四層の天守閣(現在の城内中学校正門東付近)が築かれていました。その姿は海上に浮かんでいるように見えたので、浮城とか琴浦城などと呼ばれたそうです。この天守閣の模型は、昔の写真をもとに木形を作り、コンクリートで固めたもので、昭和15年(1940)4月から7月まで1学期間かけて教職員と児童が一緒になって 苦心して製作されたものです。
平成10年 <尼崎市教育委員会>
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